餌付け・ヤラセ問題について

※このエッセイは月刊誌バーダー2003年4月号に掲載された記事の原文(ノーカット)に
さらに加筆したものです。私なりに勉強し、信念をもって考えをまとめたものです。
至らない点も多々ありますので、ご意見があればご連絡下さい。お待ちしています。

<餌付け・ヤラセ行為は必要悪!?>

 私は、商業写真を扱う仕事をしています。仕事柄、有名写真家が写真の色彩を豊かにしたり
季節感を持たせたりするために餌付けやいわゆるヤラセをすることがあることは以前より知って
いました。カワセミが色鮮やかな花の傍らに止まっていたり、紅葉とヤマセミがキレイに絡んだ
写真など例をあげると枚挙に暇はありません。そんなヤラセの事実を初めて知らされたときには
ショックを受けましたが、写真を売る事が自分自身の仕事ですし、そのような『造られた写真』
が実際に良く売れるものでした。そして、色彩豊かで季節感に溢れた写真が広告や出版を通じて
世の中に出ることで、結果的にバードウォッチングを趣味とする人々にとどまらず、そうではない
人々をも魅了し、野鳥や自然に興味を持ってもらう機会が少なからずあるので意義はあると考えて
いました。いわば餌付けやヤラセは必要悪と納得していたのです。作為のない自然な撮影が普通で、
ヤラセは何となく後ろめたい事だとは思っていましたが、それが実際にどのような状況で撮影された
のかなど具体的な状況については良く知らなかったですし、正直考えたこともありませんでした。
人々を魅了するようなキレイな写真は餌付けやヤラセなしではなど撮れるわけないとさえ思って
いました。

<餌付けの現場を見てその1>

 その後、実際に餌付けとヤラセの現場を目の当たりにし、その実態を知って私の認識は変わって
いきました。
 まず、最初に違和感と憤りを感じたのは、ある公園で見たカワセミです。その公園では池に
ヤラセの止まり木を立て、その根元にザルを設置、ザルの中に小魚を泳がせてカワセミを餌付けし、
止まり木からザルに飛び込むところを撮影していました。現場には、知人に誘われて行ったのですが、
そこには嘴の折れた雄のカワセミがいました。非常に痛々しい姿でした。嘴が欠けていても一生懸命
に餌を採ろうとする姿は、見ていて本当に哀れになりました。このヤラセのザルが、嘴の欠けた直接
の原因という証拠はありませんが、何らかの影響を与えていることは、想像できます。
 そんな嘴の折れたカワセミが一生懸命ホバリングする姿を、嬉々として撮影する人々を見ていると
私は、非常に不愉快な気持ちになりました。その後、二度とこの公園は訪れていませんが、他にも
嘴の折れたり欠けたりした個体が確認されているそうで、そういう不自然な状況は偶然とは思えず、
あのヤラセザルに原因があることは状況証拠から間違いないでしょう。このような行為に対して
勇気を出して注意をした心ある人もいるそうですが、決まってそのような行為をするカメラマンは
『(嘴が折れた)証拠があるのか』『お前の公園か』などと、開き直ったような反論をし撮影を
止めないそうです。どこかの国の良い歳した大人やしつけの悪い少年のように逆ギレというやつです。
その後、このザルは鋭利な針で囲まれたと聞きました。その姿たるや、さらば宇宙戦艦ヤマトで
白色彗星を波動砲で吹き飛ばした後に現れる都市帝国のようです。剣山に飛び込むカワセミが目測を
誤り...想像するだけでゾッとしました。こんなナンセンスな事をした理由は、サギなどカワセミ
以外の野鳥に折角用意した小魚を食べられないようということらしいです。何という幼稚で危険な
発想でしょうか...例えれば飼い猫に熱帯魚を食べられないように水槽を電流を流した有刺鉄線で
巡らすようなブラックさでしょうか。さすがにこれは愚かな行為と気付いたのか、指摘されて泣く泣く
か、後日撤去されたと聞きましたがザル自体は今も設置され、本質的に危険な状況は改善されていません。
こうした野鳥へのリスク意識の低い行為に野鳥写真の本末転倒をみた気がしました。野鳥が好きで
野鳥の写真を撮っているはずなのに、写真のために野鳥を傷つけているのです。

 これまでに、私が聞いていたカワセミの餌付けとは、止まって欲しい枝の下を流れる川に米を蒔いて
魚を集め、カワセミを寄せたり、止まり枝の背景を花々や紅葉で飾るといったものでした。
それに比べて、このザルは明らかにやり過ぎだし、カワセミを傷つける危険性ははかりしれません。
実際に被害が複数件出ています。ただし、このザル問題はあくまで極端なケースであって、この時点では
まだ全ての餌付けが悪いとまでは思っていませんでした。餌付け、ヤラセ行為の中には野鳥に対して
明らかに危険な行為もあるのだという事実を知ったつもりでした。

<餌付けの現場を見てその2>

 ある公園では渡りの鳥をミルワーム等で餌付けて居着かせ、それを複数のカメラマンが囲んで写真を
撮っていました。背景に盆栽を持って来たりしていて、野鳥写真って何なのだろうと考えさせられました。
このように野鳥をペット化して写真を撮る行為にも不快感を覚えました。しかしそれ以上に、人為的に
餌を与える事が野生の鳥に対して実際どのように影響するのかがとても気になり、いろいろ調べてみました。
そこでわかったことは、餌付けによる過食や栄養過多、栄養の質に起因する肥満や糖尿病による短命化の
事例があり、肥満で飛行障害になり衝突事故や交通事故に至る事例、天敵からの回避能力低下のリスクを
知りました。また、人為的な餌付けに依存することで野鳥自身が餌を取れなくなり、将来的に衰弱死する
ケースがあることもわかりました。さらに、渡りの時期が餌付けによって遅れたり、場所が変更される
ことにより繁殖に影響が出ることも予想されます。事故死、病死、渡りの時期と場所が影響され結果的に
繁殖が狂えば、繁殖地の生態系にも影響が出ることになります。食物連鎖の中である種の絶対数が変われば、
必然的に他の種の個体数にも影響を与え(その種を補食する種、その種が補食する種に影響が出る)
食物連鎖ピラミッド全体のバランスが崩れるだろうことは私のような素人でも容易に想像できます。

 餌付けという行為は、直接的な影響がすぐにその場で現れにくいということもあり、餌付けを肯定する
人々と反対する人々との間の議論が平行線を辿りがちなのも事実です。しかし、今述べたような危険性が
あることは間違いないのですから、それを回避するのが野鳥愛好家としてとるべき選択なのではない
でしょうか?
			
<野生動物との接し方>
			
 野鳥から少し離れますが、北海道にキタキツネという哺乳類の小動物がいます。本来、野生動物である
キタキツネにいつの頃からか観光客が餌を与える習慣が生まれてしまいました。観光客が冷凍のネズミを
持っているわけもなく、与えるのはスナック菓子など人工的な食物です。それがこの野生動物の身体に
どんな悪影響を及ぼすか、餌を与える観光客の誰も考えたことはないでしょう。スナック菓子を与えると
いうことは言い換えれば油を与えているようなものです、採取量が多いと消化不良がおき下痢で体力、
抵抗力が減退し疥癬(通称:尾腐れ病)の発生原因となってしまうのです。尻尾の痩せ細ったキタキツネを
見かけたら、間違いなくこの病気にかかっています。餌付けられていない野生の個体は実に立派な尻尾を
フサフサとさせています。また、キタキツネは餌付けによって自分で餌を取る努力をしなくなることが
あります。餌付け依存です。観光シーズンである夏はそれで生きてゆけるのですが、寒くなり観光客も
いなくなってくると、自力で餌を取れなくなった個体は、厳しい冬を越えられず餓死、衰弱死してゆく
事例が少なくありません。餌を与える観光客のほとんどは「可愛いから餌をあげる」という素直な気持
だったと思われます。ところが、生き物を慈しむつもりの観光客が、実は自らの知らないところで、
自らの手によってキタキツネを殺しているのです。その無情さ、悲惨さを思うとやり切れないのと同時に、
私たちは野生動物に対して干渉することが、どのような影響を与えるかを認識し、責任をもって行動
しなければならないのだと思います。
			
<餌付けの現場を見てその3>
			
 ある森にサンコウチョウを観に行った時の事件です。サンコウチョウというのは非常にナイーブな種類
です。ストレスを感じれば直ぐに営巣放棄したり、子育てを放棄してしまうのです。サンコウチョウに
限らず、他の種も繁殖の時期は非常にナイーブになっています。ですから、観察を控えるのが理想で、
観察する場合は日頃よりも遠くからそっと見守るなど、細心の注意を払わなければなりません。
 地元でサンコウチョウを見守って来ている有志が人間の近付き過ぎによる営巣放棄を事前に防ごうと
呼びかけていました。呼びかけに対して、ストロボを常用する人も同意していたのですが、どうしても
平日というのは皆仕事があるので監視しきれません。そこで間違いが起こりました。周囲から注意されて
『もうストロボは使いません』と約束したはずのカメラマンが巣の真下に1時間以上も居座り、しかも
ストロボを発光させ撮影したせいで、結局は営巣放棄という事態を招いてしまいました。サンコウチョウは、
人間が巣に近付くだけでも過大なストレスを感じているのに、さらにストロボを焚けば、営巣放棄という
最悪の結果につながることは容易に想像できたはずです。本人が想像できなくとも、きちんと周囲が
注意していたのです。この問題に関してもいろいろと調べてみました。そこでわかったことは、野鳥の撮影
でストロボを使用することは、野鳥に多大なストレスを与えてしまう虐待行為であるということです。
瞬膜で保護されていない無防備な状態での瞬間光は、神経系への悪影響が懸念され、直接的には目がくらむ事
による衝突事故も報告されています。過去にストロボを多用して野鳥を撮影していたという有名な写真家の
話ではフクロウにストロボを焚いたところ、ふらふら飛んだ後に墜落したり、エナガの目がくらんで三脚に
衝突したりした事例があったそうです。その写真家の方は、「もうストロボは使わない」とおっしゃって
いました。それが本心であることを心から願います。どうしてもストロボを使わなくては撮影できない状況
では、撮影を諦めるのが野鳥愛好家の当然の選択だと思います。もしも自分がストロボで撮影したことで、
結果的に(その場に限らず中長期的に考えなければなりません)その鳥や卵、雛の生死に関わる事故に
つながってしまったとしたら・・・。どんなに心が傷むでしょうか。キタキツネの例と同じように、無知の
ために、または解っているのに自己満足の写真のために、愛情を注いでいるものを死に追いやれば、
自己嫌悪に陥るのは必定です。そうならないためにも、日頃からいろいろと勉強し、楽しませてくれる野鳥
への愛情と感謝をもった上で行動する事が本当に重要だと痛感しました。
						
<私の鳥見の楽しみ方>

 このように餌付けやヤラセに対する私の考えは、色々な現場を見たり、知識を得ることで以前とは大きく
変わってきました。そしてもうひとつ、「野鳥との出会いの楽しみ」を知った事も大きなターニングポイント
になりました。自分が好きなフィールドや、ここに行くと時期的にあれがいるのではないかと予想した
フィールドで、様々な野鳥との出会いに恵まれたことが幾度となくありました。そういう出会いの際に
鳥と心の中で対話しながら、写真を撮らせてもらう時間はなにものにも代えがたいものがあります。
そして、そういう出会いの際の写真は予想外にキレイな写真が多いのです。これも新たな発見でした。
確実に鳥がいるという情報を元にしているのではないので、もちろん空振りも多いですが、チャンスが
少ないからこそ出会いがあった時の喜びが大きいですし、このような一期一会を大切にしたいと思えます。
私はこうした出会いによって、以前は餌付けやヤラセなしでは良い写真など撮れないと思っていたのが、
そうではないのだと気付きました。野鳥に何らかの悪影響を与える危険性が低い上に、より良い写真が
撮れるのですから愛好家としてそちらを選ぶのは、当然の選択です。そして、以前は出かければ何が
なんでも良い作品を撮ってやろうとガツガツしていましたが、最近では状況的に良い写真が撮れないと
判断した時は観察に徹したり、風の匂いを楽しみ、健気に生きる草花を愛でたり、はたまたボーッと
したりしてフィールドでの時間を心から楽しんでいます。

 北海道の十勝が私のメインフィールドですが、この地では地域経済が公共事業に大きく依存している
という側面があり、不要な道路や宅地造成などで、残された貴重な森が次々に失われています。以前から
開発型の公共事業に対して反感はおぼえていましたが、自分が写真を撮れるなら、少しくらい環境が破壊
されてもあまり関心はなかった、というか危機感が足りませんでした。しかし最近は考えが大きく変わって
きました。直接的に自分の拠り所であるフィールドが失われ写真が撮れなくなる事ももちろん困りますが、
いろいろな形で、私の場合は写真という手段で自然と関わる以上、自然を保全することが責務なのだと
考えています。たとえ、破壊がなかったとしても人間の営みの影響を与えてしまった半自然。そのような
環境に対しては触らないのではなく、積極的に保全してゆかなければならないのです。
その上で一木一草を愛で、目の前で微笑んでくれる鳥たちに感謝し、そういう鳥の糧となる生き物たち、
その鳥を糧とする生き物たち、それら全てが安心して生きてゆける環境を保全し、共存することこそ
私の夢であり、志です。
そんな私の心の変化のきっかけを与えてくれたのが実は餌付け・ヤラセ問題なのかも知れません。