<奥多摩でもシカを撃たなければならない?>
少し前に新聞で読まれた方も多いと思うが、東京に今なお豊かな自然を残す奥多摩地域でシカが過度に増殖し、食害が深刻化している。様々な議論を繰り返す中、方向性としては北海道のシカ猟のように人為的にシカの数をコントロールするという手段が有力視されている。このこと自体は間違っていないと思うし、現実的に他の有効な手段は考えにくい。『環境を守るために可愛いシカたちを撃ち殺すなんてとんでもない!』自然環境について浅学でヒステリックな人からはこういう意見が出る。こういう方々は外来種問題についても『なぜアライグマを殺さなければならないの?』の一点張りである。詳細な説明は割愛するが、前者については『植物はどうなる?全て等しい生命ですよ』後者については『間接的に在来種が殺され、滅ぶのはいいのですか?』が端的な答えとなる。過度な動物愛護は生態系のバランスを崩すだけで、結果的に周辺の植生を破壊するプロセスを経て、最終的には増え過ぎた彼ら自身が滅んでゆく最悪の結末につながりかねない。人為的に動物の数をコントロールするこのようなワイルドライフ・マネジメントは哀しいが、いろいろな意味でのサステナビリティ(持続可能性)を維持するために止むを得ない重要な選択である。
<危機管理は想像力>
奥多摩のケースは確定ではないようだが、おそらくそうせざるを得ないだろう。問題はいざ行動に移す際に想像力を働かせることである。目的があって、それを達成するための手段を考え、行動に移す。当たり前のプロセスだが、ここで注意しなければならないのは、行動したことで目的達成以外にも影響することが出て来ることだ。多様な影響の可能性に想像力をはたらかせ、プラス要因、マイナス要因を事前に考えられる限り検討し、意志決定、軌道修正がなされるべきである。それこそが危機管理であり、現代の日本社会に比較的に不足していると思われる想像力である。
さて、奥多摩のケースで私が危惧しているのは、シカ撃ちをする際に鉛弾が使われはしないかということである。鉛中毒になっている鳥類がオオワシやオジロワシだけではないことはその1で説明した。この地域にもクマタカやイヌワシなど希少な種が生息していることが確認されており、シカ撃ちに鉛弾を使った場合に起こりうる危機は容易に想像できる。事が起こってから対処するのでは危機管理にならない。考えうる可能性を想像し、事前に危機管理を万全にしたい。今、私にできるのはこういう危険性を多くの人に考えてもらい、行政に意見を提出することである。
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